つぶつぶログ

かずのこ(@kazuno262)の雑多な思考を記録する為の場所です

「けものフレンズ2」物語において、問題解決は必ずしも必要なのか?

こんにちは。

Twitterではけものフレンズ2の話題を中心に専ら議論をしている自分ですが、ふと疑問に思う事がありました。

「物語において問題の解決は必須条件なのか?」

という議題です。

けもフレ2を好かない人の中には、「放り投げた問題が多すぎる」等の意見が多いように見受けられたのでこの事を考えた次第でございます。

今回はこちらに関してお話していきたいと思います。

 

 

まあ結論から言ってしまうと。

極論、場合によっては問題全てを放り投げた状態で終わっても良いと私は思っているんです。

なぜかというと、少なくとも打ち切り的終わり方でない限りは問題を問題として残す事や謎を謎のままにしておく事そのものがその作品の答えとして明示されるわけであるからです。

恐らく価値基準の重点が違っているのです。

 

 

私は、物語にはそのテーマ性に対して何らかの回答があれば良いと思っています。

それがけものフレンズ2では「おうち探し」だったわけで、それに対しての回答が得られれば何でも良かった。

もしも終わり方が「まだ探している途中だよ」でも全然良いと思っているわけです。

受け入れられない終わり方があるとすれば、それに対する答えが明示されない終わり方です。

例えばけもフレが10話や11話の段階で突然終了したら私も受け入れられないと思いますが、そうでなくて12話でしっかりと回答を示して終わっています。

「おうち探しはもうしない」「この場所が家だから」

キュルルちゃんはそんな宣言しました。

これって、言ってしまえば問題解決であるわけです。

少なくとも当初の目的に対する問題解決は果たしました。それが果たされてなくても、一定の答えがあれば良いと私は思うわけです。

もちろん、そこに至るまでの経過は重要ではありますが、関連するとすればキュルルの「おうち探し」の決着と深く関わるような問題だけだと思うんです。

「船セルリアンは?」

「ビーストは?」

「うみのごきげんは?」

「キュルルの絵の危険は?」

こんな疑問がTwitterでは飛び交っていましたが、これに対する解答が必要あると思った事は一度たりともないんですよ。

だって、これらはキュルルのおうち探しの中で出て来たマクガフィン(と言うとまた語弊があるかも知れませんが)のようなものであって、本筋では全然ない。

例えばビースト一つとっても、そもそも私は謎とすら思っていませんでした(最初から生きていると思っていたから)。

うみのごきげんも同様で、海底火山が最近活発だからパーク内で海に沈んでしまった箇所が沢山あるんじゃないかなぁと勝手に納得してました。

船セルリアンやキュルルの絵は今後危険に繋がりそうな予感がしますが、それって未来への想像を膨らませる材料でしかないと思ってました。

例えば、危険だと分かったからセルリウムをかばんさんがもっと研究して、そこにまたキュルルちゃんたちが合流する事もあるかも、とか。

船セルリアンが放置されたからホテルが崩れたのかなとか。

そういう余白の部分の楽しみだと最初から思っていたんですよ。

なので、こういう部分を「伏線の取りこぼし」のような捉え方をされてる方を見て目から鱗だったんですね。

それにこれらは恐らく、KFPという大きなコンテンツの中に忍ばせたちょっとしたヒントやご褒美、フレーバーみたいなものでもある。

 

キュルルの「おうち探し」に対して必要だった描写はフレンズたちとの素朴な遊びの描写でしょうし、サーバルとかばんの時や記憶を超えた友情でもある。

きみは帰る場所というわけです。

「おうち探し」に対する一定の解答が示される前後に「サーバルかばの友情」「イエイヌちゃんの想い出」が描かれてしまったらもう何にも文句が出なかった。

 

 

本当にこれは、評価基準の違いだと思っています。

一期のやり方は恐らく、各所に小さな伏線を散らばせておいて、それを最後に拾ってくるというある意味オーソドックスなパターンです。

そんな一期も、最後にちょっとした謎は残していきましたよね。

 

二期のやり方はその逆です。

テーマ性に対する解答だけを用意して、残りは視聴者の想像に委ねる。

私の好きな作品にはこのタイプが多く、往々にして駄作だとかクソだとか騒がれて散々叩かれてるタイトルばかりです。だから余計に、二期の余りの評価の低さも不当に思えるんです。興味がございましたら「うみねこのなく頃に」を読んでみて下さい……。

もちろんそういった問題に対する一応の解答が用意されてないわけじゃなくて、一部の問題には欲しい人だけに向けて他プラットフォームに解答が示されていたりしますし、そもそも制作者も問題とすら捉えていないのだと思います。

つまり、本来は明かす必要のない謎や問題なんじゃないかなぁと。

つまりは物語において必要なのは問題解決ではなくて

最初の目的に対する一種の答え

だと思うわけです。

少々ネタバレにはなりますがThe Last of Usというゲームも終わり方はこれに近い。

問題は何ら解決しなかったのだけれど、一つの答えを示して終わる。

しかし世界中で名作と評され続けているゲームです。

 

 

二期擁護派による問題解決に対する考え方は以上となります。

「それでも納得できない、そんなの物語じゃない」とお思いの方もいらっしゃるとは思います。

もちろんその主張は許されると思います。

ただ同時に、私の主張もご理解頂ければ幸いでございます。

 

 

ここまで読んで頂いてありがとうございます。

けもフレ2に関する記事の時はいつも勢い任せに文章を書いてしまいますが、読みづらかったら申し訳ありません。

それではまた。